History
誇りある地
日本一の大河・信濃川に架かる新潟のシンボル、萬代橋。
その歴史は、新潟発展の歴史と言っても過言ではありません。
130年以上にわたって暮らしと経済を支え、大火や大地震に耐え、6連アーチの美しさが高く評価されている名橋。
市民の誰もが愛し、誇りにしてきました。
THE PREMIERE〈新潟駅 万代〉が誕生する万代5丁目は、かつて初代萬代橋の東詰があった橋のたもと。
いわば、万代5丁目は「新潟の原点」であり、その地の位は街の中枢として、今も変わることなく受け継がれています。
ここに住まうこと、それは新潟の「誇り高き地」を所有することに他なりません。
流作場五差路に東詰があった
日本一長い木造橋・初代萬代橋。
初代萬代橋が完成したのは1886年。当時の信濃川は幅が約700mもあり、橋の長さは約782m。当時としては日本一長い木造橋でした。
橋の東詰は現在の万代5丁目(流作場五差路)にあり、新潟と沼垂(ぬったり)を結ぶ要所として発展していきます。
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萬代橋が新潟市と沼垂町の仲を
取り持ち、市は飛躍的に発展。かつて信濃川の両岸にあった新潟市と沼垂町は根強い対立意識があったといわれています。
しかし、1907年の沼垂大火で新潟市の蒸気ポンプが萬代橋を渡って、東詰(流作場五差路)から沼垂町の消火へ。
この出来事がきっかけとなって両市町の合併が成立。市を飛躍的に発展させたと言われています。
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時を超えて新潟の夢を架け、
中心地となった流作場五差路。初代及び二代目萬代橋の長さは約782mでしたが、1929年に完成した三代目萬代橋の長さは約309m。
これは大河津分水路の完成により信濃川の幅が約3分の1の長さになったため。
その後、東詰のあった流作場五差路は急速に都市化が進み、JR「新潟」駅と東大通りで直結。新潟の中心地として発展しています。